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「掛軸 石川晴彦」
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掛軸 石川晴彦

石川晴彦

掛軸 石川晴彦は、1901年に生まれました。仏画などを多く描き、その繊細な技術と表現方法は非常に美術界でも定評があります。京都に生まれた石川晴彦は、本名は利治となります。日本画家としての夢を果たすために、まず絵画の基本を入江波光に師事して学び始めます。様々な絵画に影響を受けて行く石川晴彦ですが、この頃はデューラーであったり、ホルバインなどの画風に憧れており、綿密で繊細な描写を手に入れて行きます。そして、徐々に実力を付け始める石川晴彦は、その4年後には「父母の肖像」などが、高く評価されることとなります。美術界でも高い評価を獲得した石川晴彦は、より新しい美術への興味を深めるために、仲間達と生作社というグループを結成していきます。当然、グループ展などを開催し、その活動にも高い評価を獲得することになります。このグループでの活動で、石川晴彦の絵画人生を変化させたのが、村上華岳に認められたことでしょう。時代に大家に腕を認められ、より自信を付ける石川晴彦は、結果的に、第4回国画創作協会展の「老父」で入選、華岳の買上に結びつく事になったのです。こういった、人間をモチーフにして人気を獲得していった石川晴彦ですが、1936年に妻がこの世を幸手からというもの、仏画や水墨画などを中心に制作し、人間の行き着く場所に魅力を感じ始めます。師である、村上華岳の作風と似ているようで、その大きな部分は受け継いでいったようですが、心の地下に流れる水脈などやはり、自らの芸術を掘り下げています。比較的に、明るめの色調で描かれる石川晴彦の作品は、どこか心を癒してくれるような、そんな赴きを感じさせる作品となっているのです。石川晴彦の作品の大作としては、奈良県生駒郡宝山寺の多宝塔壁画があり、まさに日本の古都に相応しい出来映えとなっています。78歳という、短くもな充実した人生を送って行った石川晴彦。彼の功績こそ、日本が誇るべきものなのでしょう。